韓国の異常な国民性
は、遺伝子が主原因です






さぞかし変なタイトルと思われることでしょう!。アメリカ議会図書館の画像ライブラリー中にある1910年=日韓併合以前の李朝朝鮮時代の写真が、朝鮮人遺伝子を非常にうまく描いているように感じたので まとめてみました。

何故なら、本当は私が書いた韓国人遺伝子の特異性を明確に指摘したアメリカ食品医薬品局の論文紹介ページを 読んでいただきたいのですが、私の性分で、前半部分は相当むづかしく、分かり易く書いたつもりの後半の朝鮮人遺伝子の結果現象データ部分も読みづらいと思います。ですから自分なりに反省したつもりです。

それで、このページを追加してみました。真にお願い申し上げます!下記ページをご覧頂けないでしょうか?このページの写真を見られて、印象深い方は是非ご一読ください。 朝鮮人遺伝子の客観的データを掲げています。お願いですからお読みください。そのためだけに、作成しました。

韓国人遺伝子の特異性へ




The gateway of the palace, Seoul, Korea
1903年

朝鮮半島が日本の保護国になる2年前に撮影されたもの。当時の李王朝宮殿への両班の出仕風景。
印象的なのは、両班という支配階層ですら、完全に白の、全く色のついていない朝鮮服を着ている点です。20世紀初めで、しかも、その国の上流階級ですら、全く何も染めていない服を着ていたのです。(奴婢らしき少年2名は、上が裸で下の服は、単に非常に汚れて色があるように見えるだけです)


Monks at a village monastery of Korea
1904年
当時の仏教僧の画像ですが、両班と同様に全く色のついていない白の仏衣を着ています。これが、仏教僧の正装でしょうから、葬儀の際にも、このような染めていない仏衣であったのでしょう。要するに、染料が非常に高価で一般的には使用されておらす、通常は服を染めることすらできなかった!ということです。

なお、儒教を国教としていた朝鮮では、仏教僧は、賤民扱いであったというのが、定説であり日本とは異なります。



The beautifully carved marble staircase of the palace, Seoul, Korea
1903年

座っているのは、李王朝の宮殿の衛兵?かもしれませんが、宮殿の入り口にしては、完全に異様な状態で、撮影されています。やらせではないと推察します。
画像内の人物の着衣から染料が全くなかったわけではないことが、判ります。



The west gate of Seoul, the capital of Korea
1903

当時の首都ソウルの西側入り口です。やはり、両班を含め、染料の全く使用されていない白い服を全員着ています。建物の様子を見ると、石は隙間なく並べられており、上からの圧力を分散するようにアーチ状になっています。驚きました!このような建物が出来るのですね!地震がほとんどないことが幸いしたのでしょう。



Beautifully carved marble pagoda, on the site of an old Buddhist monastery in the center of Seoul, Korea
1904年

ソウル中心部にあった仏塔です。法隆寺の5重塔と比べると唖然とせざるを得ませんね!要するに、彼らは、実用技術や自然科学は全く苦手なのです。

にん

A Korean General carried in an official chair through the streets of Seoul, Korea
1904年

李王朝の武官の高官が宮殿内で使用する椅子(多分国王が使用)を運ぶ様子です。色のついた服を着ていますので、前の写真と合わせてみれば、20世紀初頭、朝鮮半島では、王宮以外では色のついた服が全く使用されていなかったという信じ難いことが、事実であるとわかります。染料は、作ることが出来ず、恐らく中国から輸入していたと推定されます。

「日本の朝鮮統治を検証する 1910年ー1945年」(ジョージ ・アキタ、ブランドン・パーマー著 塩谷訳)
P176より

「1904年当時、学校教育は主に首都ソウルに限られており、しかもそこには、小学校がわずか7・8校あるのみだった。人口千二百万人の朝鮮で、近代的な公立学校に通っている生徒の総数は5百人程度だった。(途中略)朝鮮の公立小学校の生徒数は、1910年の2万2百人から1937年には、約45倍の9百1万千2百9人に増えている」

日本統治がなければ、朝鮮半島は、このページで写真で示したような状況が続いたことでしょう。だからこそ、前掲書P185において、「我々は朝鮮統治における日本の実績が、他の植民地保有国をしのぐものであったことを再び認識するに至る」としているのです。
従って、1965年の日韓基本条約で韓国へ賠償する必要などそもそもなかったことは確かなのです。当然のことですが、同様に植民地であった台湾へは賠償していませんし、世界中のどの国も、差引計算なしで、かつて植民地であった国に対し、賠償などしていません。いわゆる徴用工問題については、この点が見過ごされてしまっているように私には思えます。

なお、前掲書では、ジョージ アキタ氏(=日系米国人)は、近代日本政治史研究の世界的泰斗とし、ブランドン パーマー氏は、朝鮮史で博士号を取得したコースタル・カロライナ大学歴史学部准教授として紹介しています。



A young Korean and his wife in street dress, Seoul, Korea
1904年

男性は、恐らく両班又は中人です。女性の方は、白い服の上に、薄い獣皮をなめした皮を防寒のためかまとっています。当時の朝鮮では、両班(正規の両班は、人口の2%程度)→中人(両班の妾腹の子及び特殊技能集団)→常民→奴婢の階級区分があり、両班の女性は、1人で外出する際には、かごに乗って外出していたはずです。ただし、徒歩の場合もあったのでしょう。その場合、中人・両班の女性は、上の写真のように、全身を覆って外出しなければならなかったのです。



Little Korean boys, of the middle class, in the northern suburbs of Seoul, Korea
1904年

@子供たちの足元を見てください。ほとんどの子が素足です。即ち、19世紀末の朝鮮では、前列左の子のような「わらじの類」さえ履かない場合が多く、外でも素足であったことがこの画像から良く分かるのです。そして、写真が撮影されたのは首都であるソウル近郊であり、1904年なのです。

A白の服は、汚れが物凄くかつすぐに汚れますね。好んで白い服を着ていたのだと主張する在日朝鮮人の朝鮮史の「美化運動家」もおられましたが、もしそうであれば、上の10人中10人とも白の服を着ていることなどあり得ません。少なくとも1人は、色のついた服を着ているはずですから。即ち、染料は中国からの輸入に頼らざるをえず、高価であったためと推定されます。写真は嘘をつけません。

Bこの写真は明らかに「やらせ写真です」。1904年当時の朝鮮半島では、この年齢の女の子が、屋外で遊べる状況にありませんでした。

イザベラ・バード・ビショップ 朝鮮紀行より

女の子は極貧層でも見事に隠れており、朝鮮をある程度広く旅行した私でも、6歳以上と思しき少女には、女性の住まいでもものうげにうろうろしている少女たちを除き、一人も出会ったことがない

 


Plowing scene [with ox] near Seoul - Korean farmer in his white costume, Korea
1901年

牛で田を耕している様子ですが、完全なやらせ写真です。何故なら、着衣が全然汚れておらずきれいだからです。朝鮮半島は、緯度が高いため、半島北部は米作には適していませんでした。そして、田植えは、朝鮮半島では次のような状態でした。

武田幸雄編「朝鮮史」 より。
「水田では、従来南部地方でのみ行われていた移おう法(田植え)が、17・18世紀にかけて本格的に普及し、」



A happy family in thatched hut of the Korean peasant, Seoul, Korea
1901年

子供が6人映っています。李朝朝鮮500年を通じて、人口は、約2.5倍〜3倍に増加したのに対し、日本統治下のたったの35年で人口は約2倍になりました。この否定しがたい事実を韓国の人々はどのように受け止めるのでしょうか?徴用工判決は、「日韓併合は不法行為である」をロジックの出発点としています。
人口推移は、この韓国人の共同論文によります。

なお、イギリス及びロシアは、日韓併合を正式承認すらしています。糟谷憲一他「朝鮮現代史」P83より。また、日韓併合(1910年)以前の1905年時点で、既に朝鮮は日本の保護国でしたが、保護国化については、アメリカ・イギリスは、正式承認しています。(同書P77)



White-robed pottery
peddlers on the streets of Seoul, Korea
1906年

当時の常民の様子を冬に撮影した貴重な画像です。藁ぶきの家屋が密集していますが、壁は、当時の日本のような土壁ではなく石と泥で固めた壁です。建築用木材の不足が原因です。
ソウルの緯度が高く、冬の寒さが厳しいため、暖房用の薪として、山林を伐採し、植林すらしなかったため、はげ山だらけであったようです。ちなみに、日韓併合後に、日本が計画的に初めて朝鮮半島で植林を進めたのです。よく言われることですが、「朝鮮人は将来のことを考えない」ようです。そして、韓国の出生率は、0.84という国家存亡の危機にある状態です



このページ訪問者の皆様に心からお願い申し上げます。下記ページを読んで頂けないでしょうか?

日本人と韓国人は遺伝的にはほぼ同じというデマ




Junks laden with sea-weed, the Korean's table delicacy - in harbor of Fusan, Korea
1904年

当時の釜山(朝鮮半島最南部)の漁民の様子です。対岸には済州島があります

司馬遼太郎さんの「耽羅紀行」(=済州島紀行)より

韓国の病癖というべきことの一つは、全羅道への差別だが、私など外国人にはどうもこのことがわからない。(略)ところが、その済州島にあっては、北が自らを誇り、 南をバカにする。 これらのことは どう考えても、李朝5百年の泰平が生んだ空論虚説の所産としか思えない。むろんそのしんには、韓国人の並々ならぬ誇り高さということもある



Drawing Korean farmer with load of grass for market
1904年

上の画像は20世紀初頭ですが、大八車は使用していません。そして、18世紀末で次のような信じがたい状況であったことは確実であり、異様性を強く感じずにはいられません。

司馬遼太郎さんの「耽羅紀行」より
「朝鮮にも車を導入せねばならない」という話である。(略)大八車の類の車のことである」(P230)
そのころ朝鮮には、肩引きや動物にひかせる車さえなかったというのは、文明史的な驚異である。朝鮮人ほど思弁的能力の高い民族が 、 形而下的な面になると車ももたなかったというのは、要するに朱子学的な政治のせいであるまいか。ついでながら、多少の車は存在していた。 物資の流通のために使われる車がなかったということなのである。(P231)



Drawing The old city wall built over the mountains north of Seoul - from inside looking out - Korea
1904年

後ろの山に注目してください。冬季の暖房用薪採取の影響が明確に見て取れます。朝鮮全土でこのような状態でした。そして、韓国では朴正熙政権下で植林が日本統治期にならって行われ、はげ山だらけの状態ではありませんが、 北朝鮮では現在でも、はげ山が非常に多いようです。

中国 閩の道  司馬遼太郎

p89〜90
 朝鮮では焼畑農民のことを火田民といった。 (略)
私どもの世代は、小学校の地理の朝鮮のくだりでこの言葉を教わった。 それにしても朝鮮における火田民の数は相当なものだった。その分布は朝鮮全土に及んでいた。朝鮮では近代以前まで、中国の影響なのか、樹木を尊重しない風習があった。(略)

1939年の火田民分布図というのがあるが、それによると、北が濃密で南はやや希薄と言える



Looking N.W. along a street in the native (old) Fusan,
Korea 1904年

頭に荷物を載せており異国情緒を強く感じます。韓国内では、「我々は優秀な民族と悔日・反日が」が国是であり、国民統合の象徴です。ですから、韓国内の東南アジア人を見下し、態度にもはっきり見せます。 しかし、この写真を見ると私には、日本人よりも東南アジア人に近いな?と感じられます。当時の釜山中心部のようですが、やはり圧倒的に貧しかったのだ!という印象です

イザベラ・バード・ビショップ「朝鮮紀行」
P22
釜山の旧市街はみすぼらしいところだと私は思ったが、朝鮮の一般的な街のみすぼらしさはこの町と似たり寄ったりであることを後の体験で知った。 狭くて汚い通りを形づくるのは、骨組みに土を塗って建てた低いあばら家である。窓がなく、屋根はわらぶきで軒が深く、どの壁にも地面から2フィートのところに黒い排煙用の穴がある。 家の外側にはたいがい不規則な形の溝が掘ってあり、個体および液体のごみがたまっている




A typical street in Fusan, Korea
1903年→完全に誤りです。写真を見ただけでもすぐわかりますね!たった1年違いで同じ釜山を撮影した上の画像と比べてください!。
日韓併合により、いかに朝鮮半島が急速に変化=近代化したのかが、よくわかると思うのですが?


アメリカ議会図書館に文句を言うつもりはないのですが、撮影年月日の校正ミスが多すぎます。いちいちコメントしませんが、画像中の旅館名(注)で明確であり、 少なくとも1920年以降の撮影であることは確実です。電柱もありますよ!他にも同様に撮影年月日の校正ミスと推定される画像が多数あります。1910年の日韓併合や1905年の保護国化以前の画像であるにもかかわらず、日の丸が映っている,着物を着ている、鉄道(1905年に京釜鉄道開通ですが、それ以前の年が表示)等々。ですから、表示される撮影年は、実際には参考程度とお考え下さい 。

特に、釜山を撮影した撮影者C.H.Gravesの写真は、全て1903年となっていますが、恐らく全て1923年の間違いです。

(注)画像中に浪花旅館とありますが、浪花とは、大阪の古い呼び方で浪速・浪華とも書きます。恐らく、大阪府出身者が経営していた旅館です。



Imperal Palace - the King's apartments, Seoul, Korea
1904年

えええええ!1904年にこんなに立派な建物が朝鮮に?金持ちの家か?当時の李王朝の宮殿です。

韓国の場合、全国民の約45%が、金,李,朴という姓=苗字です。このような、異常な現象は、世界中で、朝鮮半島だけであることは、韓国人すら認めています。
ちなみに、このような異様な状態が生じた理由は、1909年(この時点で既に日本の保護国でした)日韓併合の前年に、その前提として、朝鮮で民籍法(=戸籍法)が施行され、それまで姓=苗字を有しなかった圧倒的多数の漢字=文字を読めない人々も姓=苗字を持つようになったからであり、韓国人も認めています。

金田さん(→大阪府熊取町には純粋の日本人でこの苗字の方々がおられます)、
金井さん(→日本各地に金井という地名があります。特に群馬県に多いです、即ち純粋の日本人でこの苗字の方々もおられます)、
新井さん(→非常に高い確率で帰化朝鮮人の方です。偽物の族譜を有している場合には、韓国の慶尚北道 慶州市が本貫であり、本当の名前は金です。)

等々の帰化した朝鮮人に非常に多い姓=苗字の方と交際中の女性やそのご両親に、純粋の日本人かどうかを判別しうる方法をご紹介します。

それは、「耳垢が湿っているかどうかです!」耳垢が湿っていれば、ほぼ100%に近い確率で、純粋の日本人です。そんなバカな!とお考えでしょうが、nature geneticsというイギリスの学術誌があり、「A SNP in the ABCC11gene is the determinant of human earwax type」というタイトルの論文が掲載されました。(執筆者は日本人)

下の図は、その論文からのものです。



なお、非常に少ない確率ですが、朝鮮人でも耳垢が湿っている男性は、存在しえるはず。(コチラのページのYAP変異細分類表ご参照





Korean lady and maid, in the streets of Seoul, ... Korea
1904年

100%確実に両班の女性の外出風景であり、3名の奴婢を従えて外出する様子です。現時点で奴婢とはっきり確認できる唯一の写真です。
両班(=朝鮮の上流階級)の女性ですら、真っ白い服ですね! 日本でも放送されている韓流ドラマで、李朝朝鮮時代をテーマとしたドラマでは、女性は、色のついた綺麗な服を着ており、白い服を着ていません!完全な嘘なのです。虚言=嘘と詐欺=騙しが、朝鮮人民族性の最大の特徴であることは、韓国人自身も認めています!全てが嘘なのです。しかし、写真は嘘をつけません。
その明確な証拠は、アメリカ議会図書館の画像ライブラリにあり、冒頭に書いたように、このページの画像は全てアメリカ議会図書館の画像ライブラリを使用しています。



One wheeled cart of a Korean General of the old regime, Seoul, Korea
1904年

朝鮮の将軍(指揮官のことです。日本の将軍の意味ではありません)は、このような車に乗っていたようです。機動性を重視したんでしょうね!実戦向きではないように思えます。 しかし、日本人から見ると思わず吹き出しそうになります!司馬遼太郎さんが、 李朝朝鮮では「人が乗る車はあった」と書いておられますが、多分このタイプの車だったんでしょう。なお、両班の語源は朝廷の朝会で、文班と武班が左右=東西に並んだことにありますので、 中国と異なり(これが極めて重要です)、武官も高い位置にあったのです。また、正規の両班以外も土班、郷班と呼ばれる地方の地主階層があり、中国をまねた科挙は事実上ほとんど 機能しなかったようです。

司馬遼太郎さんの「耽羅紀行」(=済州島紀行)より
「僕は両班の子なんだ」という言葉を子供のころから何度も聞いた。わりあい数が多かったから、朝鮮人はみな両班だと思うことにした

司馬さんのこの強烈を極めた在日朝鮮人への極めて冷酷な皮肉は、今の私たち日本人に本当に必要なことです。朝鮮人遺伝子の本質をたったの1行で見事に言い表しています。(ただし、表面上は、優しいトーンで統一されています。)

他の19世紀末〜20世紀初頭の朝鮮半島の写真


Jack Londonジャック・ロンドンというアメリカ人小説家が、日露戦争に従軍記者として朝鮮半島を訪問した際に撮影した写真集からです。画像出所はこのウェブサイト
撮影は全て1904年。

















以下2枚は、画像中に出所を明示しています。












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